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Interview

 ベトナム生まれ、ポーランド育ち

ピアノを習い始めたのはいつごろでしたか?

5歳です。もともと、姉がピアノを習っていたのです。姉がレッスンで休憩している時に、彼女の演奏していたフレーズを、私は耳コピで弾いたそうです。それを聴いたピアノの先生から、「彼も音楽学校の入学試験を受けてみたら」とアドヴァイスをいただいたのがきっかけです。

ポーランドには何歳からお住まいに?

私が9か月のとき、家族でポーランドへ移り住みました。父は若い頃、ポーランドで気象学の博士号を取得しました。その後、私が5歳のころに父はベトナムへ帰国しました。 母は、こどもたちの教育のためにポーランドに残りました。
最初、ワルシャワに住んでいましたが、2015年に大学で勉強するためにビドゴシチに移り、学士と修士を修得しました。


ポーランド語もネイティヴなのですね。

ポーランド語もベトナム語も母国語と言えます。どちらが使いやすいかは、その時々によります。

ビドゴシチの大学では、カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロンさんのもとで勉強したそうですね。

 

高校の最終学年で、ポポヴァ=ズィドロン先生のマスタークラスを受けました。
最初のレッスンで弾いたのは、リストの「ラ・カンパネラ」とプロコフィエフの《ピアノ・ソナタ第1番》。当時、その2曲をどのように弾けば良いのかを悩み、壁にぶつかっていました。先生のレッスンを一度受けただけで、自分の表現が自由になり、新しいインスピレーションが湧き上がり、自分の音楽のリミットが一気に広がった気がしました。

 チュンさんとショパン、

 そしてショパン国際ピアノコンクール

チュンさんは2021年のショパン国際ピアノコンクールでは、二次予選に進出しました。このコンクールを受けることを決めたのは、こどものころだったそうですね。

9歳ごろだったかもしれません。
ポーランドでピアノを習い始めると、「いつか、ショパン・コンクールに出たいよね」というような話になります。ですから、こどもでもショパン・コンクールを意識するのは自然なことでした。私自身の経験ですが、例えば、学内の試験や国内のコンクールには、課題曲にショパンの曲が少なくても1曲は含まれていました。それで、少しずつショパンのレパートリーが増えていきました。
ショパン・コンクールに挑戦してみようと考えるようになったのは、18歳を過ぎたころからでした。コンクールが行なわれるワルシャワ・フィルで、伝説的なピアニストの演奏を私自身たくさん聴いてきました。自分も同じステージに立ちたい…それはこどものころからの私の夢でした。私がショパン・コンクールの舞台で演奏することは、母にとっても長年の夢でした。母は、私が演奏するときはいつもナーヴァスになり、舞台で私が演奏するのを聴きに来てくれませんでした。でも、母はその恐怖心を克服し、ショパン・コンクールのときには聴きに来て、その瞬間を見届けてくれました。


ショパン・コンクール前の2、3年間、チュンさんはショパンの作品だけを練習していたそうですね(笑)。

コンクールが終わってからは、ほかの曲も練習しています(笑)。ショパンの作品は、もう十分すぎるぐらい弾いてきましたので、そろそろお休みしようかと思っていました。でも、私はやはりショパンの音楽を愛しています。ですから、いまもコンサートでは彼の作品をよく取り上げています。

最も好きな作曲家は、やはりショパンですか?

ショパン、シューベルト、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン…もしも一人だけでしか選べないのであれば、ショパンですね。ピアノを習い始めた時から、それから、最初に聴いたクラシック音楽の作曲家もショパンでしたので、自分の深いところで彼とのつながりを感じています。

反対に、自分から距離を感じる作曲家がいれば教えてください。

高校時代に好きだったのはリストでしたが、その時は手を動かして派手な曲を弾くのが好きだったのかもしれません。いまは、リストを演奏したいとはあまり思いません。ただ、彼の《ピアノ・ソナタ》はいつか演奏してみたいです。

―― <事務局・松田> ドビュッシーがあまり好きではないそうです。――

ドビュッシーと言えば、ダン先生ですね。

私もダンさんのドビュッシーは、世界で一番好きです。

「ショパンをもっとうまく弾きたければ、ドビュッシーを勉強しなさい」とダン先生に言われました。

チュンさんにとってショパンとはどういう存在ですか?

この質問はよく聴かれ、どのように表現したらよいかと毎回困っています(苦笑)。
ショパンの音楽は、私が音楽に触れ始めたころから、ずっと自分のそばにありました。
もう一つ言えるのは、私と母がずっと一緒にショパンの音楽を聴き、その音楽について語り合うなどしてきたので、ショパンには母に近いような、親近感や安心感をいだいています。ショパンの作品を弾いたり聴いたりするとき、なにか母の思いが自分の心に響くのを感じます。ほかの作曲家には、そういう気持ちをあまり感じません。ほかの作曲家の作品は音楽学校で出会い、習ったものですが、ショパンに関してはそれ以前の生活のなかにすでにありましたので、私の世界観や人生に最初から存在していた…そういう意味で、他の作曲家とは違う位置を占めています。

 日越祝祭管弦楽団との日本ツアーについて

チュンさんは、10月に日本各地でショパンの《ピアノ協奏曲第1番》を演奏します。

2年前のショパン・コンクールでは、ファイナルまで進んだ場合は2番のコンチェルトを演奏する予定でした。1番に本格的に取り組み始めたのは、1年半ほど前からです。
《ピアノ協奏曲第1番》は、私にとって昔から憧れの作品でした。ほかの曲の練習に疲れたときに弾いたりしていましたね…18歳ごろだったと思います。そのころから母は、「いつかこの曲をあなたがオーケストラと演奏するのを聴きたい」と言っていました。私自身も、演奏する機会があればと願っていたのです。
この1年半の間、これまでに得た知識すべてを注ぎ込み、また1番のコンチェルトをリサーチしたり、インスピレーションを受けるためにいろんなレコ―ディングを比べてみたり、できるだけこの曲をより深く理解しようと取り組んできました。というのも、過去の経験から、私がひとつの作品を舞台で弾くまで、自信をつけるには最低1年はかかると考えていたからです。

3年間、マイアミに住むそうですね。

ケヴィン・ケナー先生のもとで、博士を修得するためにマイアミで勉強を続けます。
ケナー先生は、私が小さい頃から、ポーランドの国内外のコンクールで審査員を務めていました。最初に出会ったのは、13歳の時。私が参加したコンクールに、審査員としていらっしゃいました。その後も、さまざまなコンクールで、自分の成長を聴いていただき、いつもポジティヴなアドヴァイスをくださいました。コロナ禍でケナー先生となかなかお会いできませんでしたが、ショパン・コンクールで再会し、コンクール後も勉強を続けたいと考えていたので、先生に相談しました。

今後どういう演奏家を目指していきますか。

何よりも誠実な演奏家であることです。

 今後について

―― ​ありがとうございました!

40年ぶりにベトナム人としてショパン国際コンクールにて決勝戦入りを果たしたベトナムの若きスター、グエン・ヴィエット・チュン。

日越祝祭管弦楽団との日本ツアーを前に、これまでのキャリアとこの公演に対する思いを聞いた。

(インタビュー・文: 道下 京子)

日越祝祭管弦楽団ツアースケジュール

10/2 (月) 19:00開演

高崎芸術劇場

群馬県

10/3 (火) 19:00開演

サントリーホール

東京都

10/4 (水) 19:00開演

福島市音楽堂

福島県

10/7 (土) 14:00開演

マルホンまきあーとテラス

宮城県

10/8 (日) 14:00開演

宮古市民文化会館

岩手県

チュンさんのベトナムのおすすめスポット

ハノイのオペラハウスの近くにあるメトロポールホテル横のカフェ「アリアス」。
いつもコンサートの前には必ずリラックスをしにコーヒーを飲みに行くところです。ハノイの中心街はとても賑やかですが、そのカフェはとても静かな場所にあります。

チュンさんが初めてコンチェルトを演奏したのは11歳だったそうですね。
今回演奏する《ピアノ協奏曲第1番》は、まだオーケストラとは共演したことはないのですか?


10月の段階では、ほかの2つのオーケストラと共演し終えている予定です。ホーチミン市立オペラバレエ交響楽団とポーランド南部のジェシュフのオーケストラです。

チュンさんの視点から、この曲の聴きどころを教えてください。


第1楽章の提示部に出てくる第2主題(ホ長調)です。第1主題まではとても情熱的ですが、第2主題に入ると、オーケストラが完全にストップし、ピアノのベルカントの素晴らしいメロディが流れてきます。コーダ直前にも第2主題が回帰し、そこも美しいメロディですが、情熱を込めて奏でていきます。それから、第2楽章の冒頭の主旋律でしょうか。


指揮者のドン・クァン・ビンさんと共演したことはありますか?


個人的にマエストロを存じ上げています。共演については、コンチェルトではなく、ベトナム民謡をオーケストラのためにアレンジされた曲で、ピアノ・パートはオーケストラの一部として書かれていました。そのとき、作品をどのように演奏するかを、マエストロと一緒に考えました。
 

37歳の若きマエストロですね。伝統楽器の家系のご出身ともうかがっています。
 

ベトナムでは、とても人気の高いアーティストです。
 

10月の日本ツアーについて、日本のみなさまにメッセージをお願いします。
 

こう言い切って間違いではないと思いますが、日本のみなさまはショパンの音楽が大好きで、最も愛されているクラシック音楽の作曲家と言っても良いのではないでしょうか。ですから、ずっと憧れてきたショパンのこのコンチェルトを日本で弾けることは、自分にとって大きな夢がかなうような出来事であり、光栄なことです。

私の人生のなかで一度あるかないかという貴重な経験だと思っています。来てくださったお客さまが楽しんでくださるように願っています。

初来日はいつですか?

2014年です。姉の結婚式のために姫路を訪れました。

2015年には、霧島国際音楽祭に参加したそうですね。

そうです。その2年後、再び霧島でダン・タイ・ソン先生のクラスに入りました。これまで4回来日していますが、演奏するのは今回が初めてです。

ダンさんに会ったのは、その時が初めてでしたか?

いいえ。12歳の時、ハノイのコンサートに出演する機会があり、ダン先生がお母さまと一緒に聴きに来てくださいました。
そのとき、私の手をチェックしてくださいました。とても小さかったので、「もっとたくさん食べて大きくならなければいけないよ」と心配されました。

​ピアニスト:グエン・ヴィエット・チュン

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